しろくまハウス10号

種まく人のたとえ

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……イエズスはたとえでいろいろのことを話された。

「種まく人が種をまきに出た。まくとき、ある種は道端に落ちたので、鳥が来て種をついばんだ。ほかの種は土のうすい石地に落ち、土が浅いのですぐ生え出たけれど、日が昇ると焼け、根がないから枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨が生長したのでふさがれてしまった。ほかの種はよい地に落ち、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは二十倍の実を結んだ。耳のある者は聞け」

 弟子たちが近寄って、「なぜこの人たちにたとえで話されるのですか」と聞くと、イエズスは答えられた。

「あなたたちは天の国の奥義を知る恵みを受けたが、彼らはそれを受けていない。持っている者は与えられてますます豊かになるが、持たない者は持っているものまで取られてしまう。だから彼らにはたとえで話す。彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、理解しようとせぬからである。こうして彼らにイザヤの預言は実現した。
 『あなたたちは聞いても悟らず、見つめても認めようとはせぬ。この民の心はにぶくなった。耳をふさぎ、目を閉じた。目で見ず、耳で聞かぬように、心で悟らぬように、改心して私にいやされぬように』
 だがあなたたちの目は見えるから幸せであり、耳は聞こえるから幸せである。まことに私は言う。多くの預言者と義人は、あなたたちの見ていることを見たいと強く望んだが見られず、あなたたちの聞くところを聞きたいと思ったが聞けなかった。

 さて、それでは、種まく人のたとえを聞け。天の国の言葉を聞いて悟らぬときには、悪者が来てその人の心にまかれたものを奪っていく。道端にまかれたとはこういう人のことである。石地にまかれたのは、主の言葉を聞いてすぐ喜び受けるが、自分に根がなく根気がないから、言葉のために苦難と迫害が起こるとすぐ負けてしまう人のことである。茨の中にまかれたのは、言葉を聞いても世俗の気遣いと富の誘惑に言葉をふさがれて、実らぬ人のことである。よい土地にまかれたのは、ことばを聞いて悟り、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍もの実を結ぶ人のことである」

(マテオによる福音書 第13章3~23節)


 十数年前、プロテスタントの洗礼を受ける前後、この御言葉を読んだ私は、今思うと大胆にも、「では、石地を耕し、茨を刈り取り、多くの人が多くの実をむすびますように!」と証しに書いた(言った?)のを覚えています。
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by clara_1004 | 2008-08-11 00:44

おめだじの知らねごどいっぺ書いである。白熊、ネコ…etcがリトル・ペブルの「ヨゼフパパファンクラブ」やってんだ。全部標準語だ。いがべ!
by clara_1004
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