しろくまハウス10号

あるフルエクソシズムの時に対決した地獄へ落ちた霊魂の告白 2017年3月13日 AM12:23

俺は地獄から来た。もとは、人間だった。そして自殺をした。最後まで、憎しみしかなかった。だが、自殺をした者が、全員、地獄へ行くということは間違いだ。ほとんどは、救われている。天におられる方は、その霊魂のすべてを知っている。俺が行く場所は、地獄でも何でも来いと思っていた。生きているうちは、ある程度、実力のある地位だった。初めは、ただ豊かになりたい、それだけだった。初めは、食べていくのがやっとだった。金に目がくらんで、欲のままに走り出した。支援してくれる人から、金を巻き上げる方法を覚えた。どんどんうそをつき続けた。それが快感になった。おもしろくて仕方がなかった。口から出まかせを言って、いかに人をひきつけるかを覚えた。すべて自分の実力だと思っていた。人から尊敬をされて、ますますいい気になった。そのうち、人から持ち上げられないと、納得できなくなって、気が済まなくなっていた。面白いように人は、俺のことを慕っていた。集まってくるようになっていた。全て自分の実力だと思っていた。いつの間にか、大きな存在にもっと頼りたくなった。そして、もっと成功したいと思うようになっていた。自分が成功したい、ただそれだけの欲望のためだけに、すぐに、はっきりとわかる大きな成功を得るため、大きな存在に頼りたかった。自分に逆らって意見を述べるものに対しては、地位の特権を利用いて、たくさんの人間を追いつめて、自殺へと追い込んだ。それが何も悪いとは思わなかった。身近にいる人間で、従わない人には、お前たちも同じ様になると、話をしていた。同じ様な立場の人から、悪魔崇拝を、いつのまにかすすめられていた。初めは、何も悪魔崇拝という、言葉を使って話を聞かされることはなかった。すぐに目に見えて成功したことが、楽しくて仕方がなかった。ますます自分以外の人間には、恨みを持つようになっていた。どうしようもないくらいに、押さえられないくらいに、自分以外の人間は敵だと思うようになっていった。殺してもいいと思っていた。すべてが憎しみになっていった。自分に従わない人間には、すぐになぐりかかった。自分が信じているものに、すがり続ければ、何も怖くはなかった。表向きは、その地方の実力者だった。逆らう者は、皆、自分のもとから消し去った。成功していたにもかかわらず、心の中には、深い闇が口を開けていた。最後は半狂乱になって、自分を見失って、銃で口の中に発砲して自殺をした。その直前に、家に火を付けてから、銃で自殺をした。当然、私審判はあった。まさか、本当にこのような場所と時間があるとは、信じられなかった。そして、自分の意思で地獄を選んだ。霊魂たちが、まるで、たくさんのペンギンが海へ次々飛び込むかのように、自分たちで、暗い底を目指して、飛び込んでいるように見えた。うめき声をあげながら、落ちていく時には、上の方を、明るい方を見ながら、歯ぎしりしながら、俺も落ちていった。そこには、ルシファーがいた。そして、無理矢理、服従させられた。絶望だった。ため息しかなかった。もがけば、もがくほど、息苦しくなって、ひどいにおいと、絶望しかなかった。許されるチャンスが自分にもあった。天におられる祝されたおとめは、あわれんでくれた。それでも、自分で地獄を選んだ。他の力によって、決められるのではない。自分で地獄へ行く事を選ぶのだ。許してもらえるあわれみの機会があったのに、心から痛悔して、むせび泣く事を、俺は拒んだ。もっとも深い地獄の底には、ユダ・イスカリオテがいた。ヒトラーもいた。皆、ルシファーの強力な力に、ねじ伏せられていた。地獄は、本当に恐ろしく、自分が目かくしをして、さまよい続けるように、闇に支配されていて、何も見えない場所だった。さまよい続けていると、ふいに、何の前ぶれもなく突然、拷問を受け続けるところだ。それだけならば、まだいい。いつまでもひっきりなしに拷問を受け続ける。うめき声と、叫び声しか聞こえない。何度も窒息して気を失っても、永遠に続いて終わることはない。色々な拷問にあい続ける。そしてルシファーの命令で、生きている人間のところへ行く。逆らうと、とんでもないことになる。二度と地獄へは戻りたくはないので、言うとおりに従い続けなければならない。俺は、ここで地獄へ行くことになっても平気だと、軽く、しかし本気で思っている人間たちに言う。軽はずみで、気軽に簡単に思ったり、地獄なんかないと考えるべきではない。地獄なんか怖くはないと思うことは、悪魔が喜ぶだけのことだ。本当に恐ろしいところなのだ。本当に地獄は恐ろしいところなのだ。ひらきなおって許してくれるのだから、何をしてもいいと思うことも、意味を取り違えてはいけない。心から、本当に神を信じている人間のみが言うべきである。言ってもいいことである。自分のことしか考えていない人間が、言うべきではない。本当に許して欲しいと思っていなければ、私審判の時には、涙を流して、あわれみをこうことは出来ない。その場で急に、うわべだけで、許してもらおうと、軽く考えていてはいけない。そして、地獄へ行く事を、地獄へ行かされると考えるのは間違いである。生きていた時のすべてを見せられるので、良い行いをしたことも、悪い事をしたこともすべて見せられる。全てを見せられたあとに、素直に許してくださいと、心からあわれみをこう事が、天の方が望んで待っておられるただひとつのことだ。自分の全てを見せられて、あまりにもひどい事ばかりで、恥ずかしさのあまりにあわれみをこうこともなく、自分で選んで地獄へ行くことになる。もう一度、ここで言わなければならない。地獄へは、自分自身で選んで行くということ。人間が死んだあとに、生きていたところに、そのままとどまることはない。必ず天国か地獄、あるいは煉獄、リンボに行くことになっている。地獄を信じていない人間は、あとでひどい目にあう。これは、怖がらせようと話しているのではない。口に出すのも恐ろしいことが待っている。吐き気がするほど恐ろしいところだと言っておく。私審判の場には、すぐそばに、祝されたおとめ(マリアママ)がいる。そして、その浄配(じょうはい)の聖なる方(ヨゼフパパ)がおられる。もっとも近くには、自分の守護の天使がつきそっている。目の前には、光かがやく、まことの天主が、対面するように、こちらをご覧になっておられる。今、俺は適当なことを言っているのではない。そこで、無神論者も、まことの神の存在を思い知らされる。もう一度、ここで話す。地獄へ行きたいと、好きで行くんだからと言うようなことは、軽々しく言うべきではない。絶対に行くべきではない。面白半分で、軽く言うべきではない。地獄は存在する。本当に存在している。そして、もうひとつの事実は、最後まで、神のあわれみがあるということだ。そして、選ぶのは自分だということ。天国、地獄、煉獄、リンボは、本当にある。これは、まぎれもない事実だ。俺は、話さなければならないことは、全て話した。

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by clara_1004 | 2017-05-01 16:46 | 悪魔ばらい

おめだじの知らねごどいっぺ書いである。白熊、ネコ…etcがリトル・ペブルの「ヨゼフパパファンクラブ」やってんだ。全部標準語だ。いがべ!
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